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2015.06.23 Tue
もっと重ねて観てから書こうかと思っていましたが、
今思っていることを文章に残しておこうという気持ちがあったのでカリカリ書いていきます。
私はこれを書いている時点では劇場版を5回見ている状況です。
なお1期,2期の考察は、基本的にはmomorinさんの考察を参考にさせていただいております。
momorinさんの考察まとめなお、これから1,3年生の色紙回収のためにまだ最低6回は見るため、考察が変わるかもしれません。
その場合は編集した日時を入れて追記や加筆修正も行っていくかもしれません。
当然ネタバレになるので続きからです。
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1回目を見たときは、もうなにからなにまで圧倒されました。
まず1期,2期のおさらいから。
アニメ1期,2期で主軸にあったのはスクールアイドルについて、一般のアイドルとの差別化でした。
ストーリーをじっくり追っていくと、なにからなにまである一つの対立から成るものだと感じます。
momorinさんの言葉を借りるなら「スクール性」と「アイドル性」の対立。
さらにこの対立を踏まえて、(再びmomorinさんの言葉を借りて)「穂乃果の天性の決断主義」
あとは「μ'sというグループのスクールアイドルとしての絶対者主義」に基づいたものだったと思います。
劇場版でも主に
『スクール性とアイドル性の対立』 『穂乃果の天性の決断主義』 『μ'sの絶対者主義』
この3つを軸としてストーリーが展開されていきました。
最初に全体的な感想をいうと、とても良い作品だったと思います。
個人的にはとても満足していて、μ'sのアニメ世界線はこれで良い終わりを迎えることができたかと。
(それでも辛くて、胸が苦しくなることには変わりないのですが…)
これからは順を追ってそれぞれ簡単に見ていこうかと思います。
まず初めは2年生組の小さい頃の一場面から始まりました。
時間は夕方、水たまりがあるということで一雨あった日の夕方となります。
momorinさんの考察にもありましたが、μ'sにとっての雨はストレッサーの象徴です。
なにかネガティブなことがあったであろうその少し後である今、穂乃果は水たまりを飛び越えようとします。
追記(6/30)
あらたに3回ほど見て、ここで大事なのは夕方という時間の演出だと思い始めました。
この夕方には、水たまりが消えてしまうまで、さらに家に帰らないといけない夜(=門限)という2つのタイムリミット、すなわち後に描かれる"限られた時間"に直接つながる表現が含まれています。
ロリ穂乃果「なんでなんでなんでー!」
なぜ飛べないのか、そこには身体的な壁が存在しているように思えます。
「身体的な問題」=「スクール性の問題」(momorinさんの言葉を借りています)
そこにはスクール性の壁がありました。
なかなか飛べない、そんなときにふと歌が聞こえてきます。
(私は3回目になるまで気づかなかったのですが)『SUNNY DAY SONG』です。
「SUNNY DAY SONG」は未来へ向かって羽ばたく歌。そしてこの場面ではアイドル性の象徴として描かれています。
スクール性にアイドル性を絡める演出、2期最終回の卒業式を彷彿する演出ではありました。
そして穂乃果はアイドル性とともに、無事スクール性の問題をとび越えることに成功しました。
この「とぶ」という事象はこの映画の最も重要なものの一つです。
「飛ぶ」「跳ぶ」「翔ぶ」
この「とぶ」についてはまた後に触れたいと思います。
そして物語は時系列的にも2期最終回の続きに移ります。
花陽がメールを受け取りその知らせをもとに海外にいくことが判明します。
ここからの流れるような話の展開、さすがラブライブ!だと思いました。
絵里が雪穂亜里沙からもらったお守りはAngelic Angelの成功にも少し貢献しているような気がします。
2期10話で明示されたμ'sの原動力、みんなで叶える物語がささやかですがちゃんと示されています。
Wonderful Rushでも出てきたボーイング787に乗っておよそ13時間、ニューヨークJFK国際空港に到着します。
(私が3年前にニューヨークに行ったときはボーイング777でした。いつか787で行ってみたいですね…)
日本とNYの時差は13時間、それを考慮すると離陸時間とほぼ同じ時間に着陸ということになります。
ニューヨークにつくとホテルへの移動です。
その際、穂乃果の不手際でことうみりんがはぐれてしまいます。
(凛ちゃん推しとしては、ことうみに挟まれる凛ちゃんがかわいすぎて劇場で悶えておりました…)
英語が苦手だった凛が、英語で聞いていたホテルの名前をちゃんと覚えていたというのが凛の成長を感じさせます。
パンフレットで脚本の花田氏が語っていたように、この映画の中では絵里のかわいい場面があちこちに散りばめられています。
絵里「あの橋、本で見たことある!」
絵里「おばあさま…」
絵里「だって♪」
これらは1期8話で自分に素直になれた絵里の成長を感じます。
特に「おばあさま…」という無防備な寝言は、μ'sへの安心がここまで大きくなったからこそのものでしょう。
バンドシェルでの「だって♪」は個人的にとても好きです。一周まわってすごくかしこくも思えてきました。
他の6人とはぐれたことも原因のひとつですが、異国の地に対し海未はおびえます。
9人の中で最も日本的であり大和撫子な海未は、周囲の環境と自分の差に対して不安を覚えています。
(怯える海未ちゃんかわいい)
これはmomorinさんの考察であった「海未の恥ずかしがる基準」に似ているといえます。
momorinさんの考察から引用すると、海未の恥ずかしがる基準は同質性から浮いてしまうところです。
(引用ここから)
"海未の羞恥心に対して、穂乃果は興味深い問いかけをします。 「こうして並んで立っちゃえば 恥ずかしくないでしょ?」 つまり、「スクール」性の女の子(海未)が抱える羞恥心とは、同質性から浮いてしまうところにあるのです。「スクール」性の女の子たる海未の羞恥心は、同質性のなかで自分だけが浮いてしまうところに生じます。だから海未は同じスカートでも、制服は平気だけどアイドル衣装は無理なのではないでしょうか。そして、同じ衣装を身に着けた3人が並ぶことで、その羞恥心を克服し得るのです。だからこそ、また1人で鏡に向かうときには「やっぱり恥ずかしい…」とつぶやくのです。みんなと同質であることに安堵し、そこから浮くことに羞恥心を抱く。そんな海未の羞恥心の正体を考え直してみると、彼女の魅力も増してきます。"
(引用ここまで)
実に論理的な考察で本当にとても参考になります。
だから海未がジョギング中の黒人の女性に「コンニチハ」と話しかけられたことは、
異国の地に理解を示すきっかけの1つだったように感じます。
ところで近い場面での
海未「穂乃果の言うことは一切信じません」
最初これを聞いたとき、何気ない一言ではありますがとても驚きました。
μ'sの方向性の1つである「穂乃果の決断主義」の否定に思えたからです。
とんでもない伏線かもしれない、と不安に駆られましたが杞憂に終わりました。
これは余談なのですが、3年前に私がNYに行った時期もちょうど3月でした。
その時私もμ'sと同じようにStatue of Liberty、自由の女神へのフェリーは屋上にいたのですが、とんでもなく寒かったです。(後ろにいるアメリカ人たちが「クレイジーー!!」と絶叫するほど)
μ'sの彼女らが行った日はあったかそうで良かったです。
同じ時期に聖地巡礼される方は、暖かい格好を忘れないようにご注意を…
話を戻します。
少し戻ってことうみのトランプ対決。
この時の海未ちゃんには深くは触れませんが、GOD世界線のことりSidにある、マケミちゃんを愛でることりちゃんの、海未ちゃんに対する歪んだ愛を少し思い出してみると、なんだかこうゾクゾクとこみ上げてくるものがありますね…
ネタ的な場面のはずが一変、妄想の捗るシーンとなってしまいました。
ところで、ジョギング後の観光で凛はNYという街に対して1つの結論を導き出します。
ロックフェラーセンターのてっぺんにて、
凛「この街ってね、少し秋葉に似てるの!」
これは私が映画を見る前に若干考えていたことでした。
ロンドンでもなくパリでもなく、なぜニューヨークなのか。
けいおんでHTTがロンドンに行ったのは軽音部だから。ではラブライブ!が海外の中でニューヨークを選んだ理由とは?
そう考えた時に少し頭をよぎったのが「秋葉原とNYの質の類似点」でした。
(といってもどっちも自由な雰囲気の街だなー程度にしか考えていませんでしたが)
そんなNYだからこそ、そこからオファーが来たように感じます。(若干メタ的にも感じますが)
さて、物語は日をまたいで雨です。
ついに来たか…と思わせる雨、μ'sのストレッサーです。
一瞬、再び穂乃果が道を開くのかと思いましたが、ここで飛び出したのはもう一人の元気の象徴でした。
ここで1期5話を思い出してみることにします。
雨の中、
凛「テンション上がるにゃー!」
と飛び出す凛、サントラの曲名にも使われたこのセリフ、この場面を彷彿させるシーンでした。
1期5話の時は凛は雨に適いませんでしたが、この時リベンジを果たすことに成功したわけです。
そして劇場版初の挿入歌が始まります。
最初曲が始まったときは興奮して心の中で「うおおおおお」と叫んだものです。
歌詞の内容としてはニューヨークを歌ったものです。
ラブライブ!のアニメで突然歌いだすというのは1期1話からあります。
あの時は穂乃果でしたが今回は凛、元気っ娘な2人のリーダーとしての共通性が見えました。
可能性を感じたから歌いだしちゃう、テンションがあがったから歌いだしちゃう、
そんな2人だからこそμ'sを引っ張っていくリーダーにたり得るんでしょうね。
「Hello,星を数えて」
流れるようなミュージカル、さすがラブライブ!です。
劇場版の中でとてもお気に入りの曲の一つです。(全部大好きなんですけどね)
この雨を皮切りにμ'sの観光はネガティブな面が少しだけ出てきます。
まずは花陽の米不足。
2期7話同様GoHAN-YAは花陽のストレスの解消として出てきます。
ごに飯と書いてご飯。白米について語るかよちんもパンを食べるかよちんもかわいいです。
そしてニューヨークで最も重要な出来事の一つである、とある出会いが起こります。
ネガティブな面というべきなのかは置いておき、穂乃果は電車を間違えて8人とは逆方向に進みます。
これは起こるべくして起きたことのように思います。
どうして最初穂乃果のメトロカードだけ通らなかったのか、あの時穂乃果はなにかに導かれていました。
みんなといられるわずかな時間、瞬間的な「今」を楽しむμ'sの9人。
その中でμ'sの基盤ともいえる穂乃果は、この導きにより「未来」を決めるための「過去」に目を向けることになります。
8人と逆方向に進んだあの場面はそういったことを暗示していたように感じます。
さて、女性シンガーとの出会いです。
女性シンガーとの出会いは物語の後半でもあります。
この女性シンガーについての考察は後に記述するとして今は省略させていただきます。
「Angelic Angel」
5thライブで初披露された劇場版の特報、そこでサビが公開された曲です。
劇場版の第一弾キービジュアルの衣装の影響もあって、この曲が劇場版を代表する曲と考える人も多いと思います。
明日じゃない 大事な時は今なんだと気がついて
未来を否定し今を肯定する歌詞、3年生が卒業し解散するμ'sの今を大切にするフレーズです。
もしもは欲しくない もっとが好き
違う世界線の「今」ではなく、この今生きている「今」に焦点をあてた曲です。
Angelic Angel 私が和訳するなら「天使のような恋人」
アニメμ'sでは珍しい恋愛ソングですね。
帰りの飛行機の中で、ことりと穂乃果は「またみんなでNYに行こう」と約束をします。
「未来」になっても9人は変わらず仲良しのμ'sそのままでありたい、またそうであるべきだ。といった2人の共通の想いが伝わってきます。
舞台は再び日本、東京に戻ってきました。
成田国際空港に着いてμ'sを迎えたのは、劇的な環境の変化でした。
「ここから入っちゃダメゾーン」に足を踏み入れるμ'sのファン、
それはワイワイ仲良くやるμ'sの家族感への異物侵入の象徴にみえます。
異物といっても嫌悪感をいだくそれではありません。
いわゆる日常の中への非日常の侵入、といったところでしょうか。
μ'sはプライベート(スクール性)にまでアイドル性を考えなければならなくなりました。
今まで背反に思えた「スクール性」と「アイドル性」
これは、アイドル性がスクール性に大きな影響を与えるようになり、両者の関係が激変します。
わかりやすい例えをあげるなら、「スクール性」が「アイドル性」の関数や写像のようなものになってしまった、といった具合です。
成田空港で、穂乃果が持ってきた女性シンガーのマイクが見当たらない、海未の問いかけ等のことは後の女性シンガー考察に一緒にします。
「?←HEATBEAT」
突然な環境の変化に戸惑うμ'sの心情を歌った曲です。
大ブレイクして幸せだけど、追いかけるファンからは逃げないといけない。
突然すぎて戸惑い、これから先どうしよう。
「どうすればいいの?」というフレーズは1期1話にもありました。
あの時みんなを引っ張ったのは穂乃果でした。
後に提起される大きな問題、その中を引っ張っていくのはやはり穂乃果でした。
追記(6/30)
8回目でようやく気づきましたが、ここでことりちゃんが絵里ちゃんを二度見してるのがなんとなくかわいいです。
ちなみに顔は2期6話のあるシーンを彷彿させる真顔でした。ことりちゃんが無表情なのはレアな気がします。かわいいあの娘の意外な一面って感じでちょっと好きです。
それはひとまず置いておき、
もう活動を終了すると決めていたμ'sは、それを伝えるために
真姫がこっそり作っていた歌でのラストライブを計画していきます。
μ'sの集大成である「僕たちはひとつの光」、この曲は6thライブの象徴となるのでしょうか。
そんな中、理事長を通じて一つの問題が提起されます。
それはμ'sの「スクールアイドル」としての「スクール性」を否定するものでした。
μ'sはスクールアイドル、それは1期の1話から厳密性をもっていたことでした。
それがここにきて根本的に否定されようとしています。
ドーム大会実現のためにμ'sを続けるべきか否か。
その問いは各メンバーに迷いを生み出しました。
自分たちが続けなかったせいでドーム大会がなくなるのは…と気にする
りんぱな、のぞえり
自分たちの決断をそう簡単には変えられない
にこまき
お互いがお互いの主張をよくわかっています。
1期初期は義務感に追われやりたいことに素直になれなかった絵里、
今までなら希は、今そんな義務感で話す絵里に対して客観的に諭すことができたかもしれません。
しかし今回希は絵里に同調して、μ'sを続けるという選択肢について考えます。
この選択肢については、希自身責任感や、μ'sがなくなることへの未練がわずかながらあるのではないかと思います。
これについてはりんぱなも同じことがいえます。
ラブライブ!よりこのμ'sのほうが大切、とはっきり口にできる真姫とは違い、
花陽はラブライブ!についても同じように大切に思っています。
自分の大好きなスクールアイドルの祭典であるという、スクールアイドルオタクとしての自分がいるからです。
μ'sとして最終的な結論を出す瞬間でも、花陽はラブライブ!のことが心配でした。
実は希はこの劇場版で、スピリチュアルガールとしての機能はほとんど果たしていません。
スピリチュアルを言い訳に自分の意見を言うという回りくどいことをしなくなった、自分に素直になった、という捉え方もできますが、
同時に希はそんなスピリチュアルなことで、μ'sを正解に導くことの手助けもしていたはずです。
劇場版の希の印象はアニメ1期,2期でのそれと大きな違いを感じさせます。
この場で意思を見せないのは2年生組です。
ことうみの2人はもうすでに穂乃果の決断を待っている、そんな気がします。
穂乃果の決断が一番、そう穂乃果の決断に対して絶対的な信頼が存在しているからです。
さて、μ'sが悩んだとき、困ったとき、道に迷ったとき、いつも彼女の決断のもとで正解につなげてきました。
やはり最後の決断は穂乃果に託されようとしています。
悩む穂乃果に対して、決断のためのいくつかのマテリアルが入ってくることになります。
まずは2期11話での結論へと導くヒントを与えた雪穂と亜里沙です。
スクールアイドルとしての練習場所を聞きに来た彼女らですが、実際には穂乃果へのアドバイザーとしての登場です。
練習場所に屋上を提案する穂乃果、それに対して練習風景を見られたくないと語る雪穂。
練習場所についてはもっと話すことがあったように感じますが、練習場所についての話はそれで終わりです。
穂乃果の心情は暗いです。
もしμ'sがなくなったら、雪穂たちの存在にかかわらず屋上はμ'sの練習場所という空間ではなくなります。
μ'sを続けたとしてもスクール性の失ったμ'sが、μ'sであり続けられるのか、穂乃果は悩みます。
しかしここで亜里沙は穂乃果の今の心情に対して鋭い問いかけをします。
「楽しく…ないの?」
唐突に思えるその指摘は、後の「なんのために歌う」という問題解決へのヒントとなります。
次に情報を得るきっかけになったのは、A-RISE。
2期10話で「みんなで叶える物語」を間接的に導いた存在です。
もともとアイドル性の強かったスクールアイドル、A-RISE。
そんなμ'sにとってのアイドル性の象徴ともいえる彼女らの出した結論は、続けることでした。
期待を裏切りたくない、という想いを穂乃果はどうすればいいのか。
天候は再び雨、
様々な情報が一気に入ってきて、穂乃果は混乱します。
穂乃果「やっぱり、続けた方が…」
穂乃果がアイドル性へ傾いたそのとき、
「これから実際スクール性を失う存在」は3人だけで話し合いをし、
穂乃果は再びある「出会い」をすることになります。
女性シンガーに対しての考察です。
巷でよく言われているのは「未来の穂乃果説」「穂乃果の作り出した幻影説」
しかし私は少し違う解釈をしています。
これは一緒に見に行った友達の意見を踏まえたうえで考えました。
穂乃果が将来あの女性シンガーのようになるとは到底思えなかった、というのもあります。
興味深かったのは凛の「誰もいなかった」というセリフです。
直線を二人で歩いていたら、というより海未が穂乃果に声をかけたとき、隣にいた女性シンガーを認識しないはずがありません。
つまり、あそこにいたμ'sの5人には女性シンガーが見えていなかったわけです。
しかし、その直前歌っているときにはギャラリーがいました。つまりギャラリーには見えていたわけです。
凛たちの近くでは穂乃果にしか見えていなかった、と考えると、これはとても超常的な存在に思えてきます。
スピリチュアルなことは希の十八番ですが、運の悪いことに希はホテルの中にいて女性シンガーを見る機会がありませんでした。
私の中ではこう思えてきました。
女性シンガーは神様なのではないだろうか、と。
(未来の穂乃果説等を否定するわけではなく、あくまで考え方のひとつです)
μ'sという名前はギリシャ神話に登場する9人の女神がモデルになっています。
Muse Muse全体を示す場合はthe Muses
この9人のMuseたちのうち、「独唱歌」を司るのがエラトー(Erato)です。
Wikipediaによると、木のニュンペー(下級女神、精霊)であるエラトーは、予言巫女として、信託を参拝者に伝える役目をはたしていたといわれてるそうです。
女性シンガーのマイクは、エラトーの持ち物であるハープが形を変えたもの(独唱歌の象徴であり、穂乃果にとっての神仏のご加護)なんじゃないかと思います。
私は正直ギリシャ神話には明るくないので、この9人のMuseの誰が一番合ってるだろうと考えたときには、Wikipediaのような媒体に頼らざるを得ないので少しこの選択は自信がありません。
さらにいうと、結論を出した次の日に穂乃果は神田明神にお参りに行っています。だからMuseの一人、という突拍子もない結論より神田明神に祀られてる神様(といっても祀られてる3人のうち、あまり合いそうな神様はいないんですが)という可能性のほうが高いような気さえしてきます。
ここの考え方は人それぞれだと思うので絶対的な答えはないのですが、私はMuseのEratoなんじゃないかなと。
そう思っております。
いろいろな場面でマイクは強調されています。
マイク、およびマイクケースのみを映す画も何か所かありましたし、
μ'sの誰からも指摘されていないというのも不思議な話です。
特徴的なのは、その後のマイクの扱いと、空港での海未の指摘です。
普通現地で手に入れた他人のマイクは現地の然るべき機関に預けるべきです。
盗む、という発想や言い方は少しキツイですが、間違っても日本に持ち帰ることはしないでしょう。
穂乃果「ずっとこっちで歌ってるんですか?」
女性シンガー「まあね」
この会話によって、女性シンガーはニューヨークにずっといるはずなので、穂乃果がマイクを持ち帰ることがおかしいということの証明となります。
ならどうして穂乃果は何も疑問に思わず持ち帰り、自分の家に置いてあるのか。
それはマイクが、先に述べたような「神秘的」な存在であることに穂乃果が(意識的、無意識的どちらにせよ)気づいているのではないでしょうか。
空港での海未の指摘もひっかかります。
海未「何か持ち込んだのではないですか!?」
穂乃果「知らないよー」
どうもマイクについて強調されているように思えてなりません。
そして穂乃果は「知らない」と答えています。
付け加えると、あの場面マイクは見えません。少なくとも視聴者の目には見えていません。
スーツケースにしまっている可能性はありますが、マイクケースはスーツケースにしまうには少し大きい気がします。
ちなみに女性シンガーが歌っている歌「As Time Goes By」
和訳すると「いくら時が流れようとも」
ザックリと内容を書くと、愛はいつの時代も変わらない、といったところでしょうか。
μ'sのメンバー間を、キスをするような愛と表現するかはともかくとして、愛が変わらないというニュアンスだとラブライブ!に合っているような気がします。
私はこの「As Time Goes By」についても明るくないので、あまりここは参考にしない方がいいかもしれません。
以上が女性シンガーおよびマイクに関する私の考察です。
最初は私は、NYで会った女性シンガーはかつてのあるスクールアイドル。凛ちゃんたちは気づかなかっただけじゃないだろうか。そして2回目に会ったときは「穂乃果の夢」なんじゃないかと思っていました。(大きな水たまりを飛んだ直後の場面が「穂乃果の目覚め」だったということもあります) しかしやはりマイクの扱いなどに疑問が生じてしまい、最終的にこういった考察にまとまってしまいました。
女性シンガーに関する他の意見はいくらでも聞きたいところです。
さて、女性シンガーによって穂乃果は「なんのために歌う」という疑問にぶつかることになります。
そして再び「とぶ」という事柄が出てきます。
冒頭の考察では
そして穂乃果はアイドル性とともに、無事スクール性の問題をとび越えることに成功しました。
と書きました。
もしこの「とぶ」という行為の中に先に述べたような「スクール性」と「アイドル性」の融合、またそれによる成功、輝きといった意味が見いだせるなら
「とべるよ」
「いつだってとべる」
というセリフは「スクールアイドル」のスクールアイドルとしての可能性が、いつでも無限に広がっていることを示していると捉えることができるのではないでしょうか。
この「楽しい」「今」は『スクールアイドル』だからこそ。
その結論に穂乃果はたどり着きました。
時を同じくして、「これから実際スクール性を失う存在」である3人もほぼ同じ結論に達していました。
穂乃果と絵里たちの違いは、ラブライブ!(ドーム大会)の解決策の有無です。
同時にスクールアイドルの本質に気づいた穂乃果と3年生(そして描かれてはいませんが他のμ'sも気づいたんじゃないかと思います)
穂乃果による、スクールアイドルを救う「最高に楽しいライブプロジェクト」が開始されます。
(真姫ちゃんの力を借りて)全国のスクールアイドルに会いに行き、誘う。
さすが穂乃果といいたい発想です。
そして穂乃果のこうした決断はいつだって正しい結果に導きます。
「Future style」
今こそ全部叶えたい 最高の夢を形にする時だと声が聞こえる
まさに今穂乃果たちが実行に移す「最高に楽しいライブプロジェクト」の始まりの歌です。
個人的に今作の学年曲の中で一番好きです。
追記(6/30)
最初の振り付けで
ことりちゃんが手をパタパタさせて鳥の真似をして、海未ちゃんに手の鉄砲で撃たれる
というのがあってとてもかわいいです。
さらにこの後の勧誘のlily whiteがとても好きです。
「SUNNY DAY SONG」の前に穂乃果はある花びらとも出会います。
この時流れた曲は女性シンガーとの「とべるよ」のシーンと同じ曲でした。
これから待っている「最高に楽しいライブ」に胸躍らせているのでしょうか、穂乃果は踊り始めます。
心なしか「これまでのラブライブ! ~ミュージカルver.~」の最後の踊りに似ていたような気がします。
「SUNNY DAY SONG」
ライブではサビでUOを折りたい曲ですね…
個人的に今までの曲で一番好きな曲です。
曲に本気で一目ぼれしたのは「Snow halation」以来でした。
今までラブライブ!で一番好きな曲というのは決められませんでしたが、今はこの「SUNNY DAY SONG」が一番好きだといえます。
ダンスも最高です。手で3や2やパーを作る素敵さもですが、何回見に行っても、払った足を順番に戻すシーンで鳥肌がすごいです。
全体的に明るく、まさに「スクールアイドルみんなの歌」といった感じの曲。
どんなことも乗り越えられる気がするよ 明日への期待が膨らんでいい気持ち
SUNNY DAY (晴れの日)というのも、アニメのラブライブ!では何やら深いような気がしてきます。(ストレッサーである雨でも雪でも、さらには曇りですらない)
追記(6/30)
皆さん気づいたかと思いますが、ラスサビ付近で
海未母、凛母、花陽母が出てきます。
存在は確認していましたが、一瞬すぎてあまり見れず7回目でようやくしっかり見られました。
凛母は凛ちゃんと同じように左手で「にゃん」っとしててかわいいです。
時は経ち2年後です。
雪穂と亜里沙のリボンが緑なことを初めて見たときは、いろいろな意味で「嘘やろ!?」と心の中でびっくりしました。
若干宗教のようにも思える、雪穂亜里沙による新入生への説明。
スクールアイドルにとって、μ'sが神格化されていることがわかります。
「僕たちはひとつの光」
μ'sの集大成となった曲です。
これに関しては私がなにか書くようなことは、少しおこがましいような気がしてきます。
CD発売が楽しみです。
以上で6/23時点での劇場版ラブライブ!The school idol movieの考察とさせていただきます。
もし少しでも次映画を見る際の参考になりましたら幸いです。
▲ Close
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